風呂汚れの組成と付着機構

実際に家庭で生成した汚れの組成分析を行うとともに、付着の初期段階で重要な役割を果たしていると考えられる微量のトリグリセロールの解析を、液体クロマトグラフィー・質量分析(HPLC-MS/MS)により行いました。

汚れの組成分析

汚れの付着機構を調べるために、10分間入浴した直後にFRP製浴槽の喫水線付近に付着した汚れと、脱浴後60分経過後に蓄積した汚れを分析しました(図1)。標準的なヒト皮脂の組成と比べると、汚れはヒト皮脂の単純な付着物ではないことがわかりました。また、汚れ中の総脂質(トリグリセロール、脂肪酸、ステロイド)の割合は時間とともに減少し、逆に蛋白質が増加したことから、脂質類が初期段階で優先的に付着し、他の成分がその上に蓄積されるものと推察されました。トリグリセロールや脂肪酸のような脂質類は、FRP(プラスチック浴槽の素材)と汚れ物質との仲介者として振舞い、汚れの蓄積を促進しているものと考えられます。

トリグリセロールのHPLC-ESI-MS/MS分析

トリグリセロールは、ヒト皮脂のほかに化粧品や浴用製品にも含まれ、その由来の違いは汚れの付着機構にも影響を及ぼすはずです。トリグリセロールは、様々のアシル基で構成され、それらをクロマトグラフ的に分離し詳細に組成を調べることができます。トリグリセロールの組成と由来に焦点を絞って検討を行いました。

分析方法は、先ず非水系逆相HPLC法により、試料中の多量の共存成分から分離した微量のトリグリセロールを、ESI-MS装置(ナノ-エレクトロスプレイ質量分析)に導入しました。しかし、ESI-MSスペクトルパターンだけでは風呂汚れ中のトリグリセロールの由来の判定は困難でした。

更に詳細に解析するためにESI-MS/MS法を検討しました。通常はESI-MSスペクトル上の分子量関連イオンの各々から複数のプロダクトイオンが生成するために、MS/MSスペクトルの解析は極めて煩雑な作業となります。そこで、本研究ではイオントラップ型MS装置の特長を利用し、MSスペクトル上の個々の分子量関連イオンに注目する代わりに、2組の範囲(m/z 800-900、850-950)の全てのイオンから生成するプロダクトイオンで構成されるMS/MSスペクトルを得ることを試みました。その結果、3種の標準物質のスペクトルパターンの間に、顕著な違いが観察されました(図2)。風呂汚れにしばしは見られたパターン(a)は、ヒト皮脂パターン(c)とほぼ同一であるが、時々観測された汚れのパターン(b)上には、ヒト皮脂由来シグナルの他に、幾つかの未知シグナル(m/z 750-900)が観察されました。これらは、微生物によるトリグリセロールの代謝物質やその他の誘導体由来の共存成分によるものと推察しています。このように、本研究により1つのMSスペクトルと、2つのMS/MSスペクトルのパターンを利用して、汚れ中のトリグリセロールの簡便な解析が可能になりました。
蓄積した汚れ中の最も多くを占めるカルシウム石鹸は、ヒト皮脂由来ではなく製品由来の脂肪酸と水道水中のカルシウムイオンとの反応により生成していました。一方、汚れ付着の初期段階で重要な役割を果たすトリグリセロールはヒト皮脂由来であることが判明しました。この結果は、浴室の汚れの全体像を理解するための一段階です。微生物が関与する汚れの蓄積機構は複雑であるので、更に詳細な研究が必要です。