第3話 ライオン歯磨の歌・楽譜・レコード

北原白秋にサトウハチロー! 歯磨の歌で歯磨大会を盛り上げた超豪華作詞陣

(イ)第1回学童歯磨教練大会の様子(昭和7年)

昭和7年6月4日。雨にもかかわらず、日比谷公園には、約1万人の人々が集合していました。第1回学童歯磨教練体育大会が開催されていたのです。(イ)今日まで続いている歯磨大会は、この日に始まりました。

子どもに歯の磨き方を指導するという取り組み自体は、大正11年から歯磨教練というかたちで実施されていました。大正10年に設立されたライオン児童歯科院では、全国の小学校に専門講師を特派する、または教練の方式を印刷物にして頒布するなどの方法で、正しい歯の磨き方の普及に努めていました。この歯磨教練とは別に、歯磨大会という一大イベントを行なうことになった直接のきっかけは、昭和3年に「ムシ歯予防デー」が定められたことにあります。第5回ムシ歯予防デーに際して何かイベントをということで、第1回学童歯磨教練体育大会を開催する運びとなったのです。

さて、当日のプログラムはというと―

プログラム

 一、開會の辭 清水儀三郎氏

 二、發聲漫画 三本

 三、發聲映画「市街」九卷

 四、映画「ああ酒井大尉」三卷

 五、挨拶 向井喜男氏

 六、獨唱「朝は子供に」其他

 七、發聲映画「陽氣な中尉さん」九卷

 八、閉會の辭 北村達郎氏

(ロ)レコードジャケット(昭和47年制作)

お気づきの通り、映画の上映が多いですね。初代社長の「事業収益をもって社会事業に奉仕しよう」という精神に基づいて始まった口腔衛生普及運動でしたが、当時は一般の人々の関心が薄い時代でした。そこで、初期の歯磨教練体育大会では、映画上映や力士vsプロ野球の野球大会など、趣向を凝らしたイベントが次々と企画され、宣伝効果をあげるために、著名人の力も借りました。特に、歯磨の歌の作詞には、北原白秋、サトウハチロー(ロ、ハ、二)など巨匠の名前が並んでいます。

(ハ)「くまの子りすの子の歌」

ここで、北原白秋が「朝は子供に」の作詞をするにいたったキーパーソンをご紹介しましょう。当時、広報部にいた文案家、大手拓次です。今でいうコピーライターの彼は、昼は広報部で広告文案を書き、休日や夕方以降は神楽坂の牛込区袋町にある映画館の隣の下宿屋の二階で詩を書いていました。白秋や萩原朔太郎らが発行していた雑誌などで作品が発表され、全集も編集されているほどの実力でしたが、社内では無名の詩人でした。その詩を読んだことのない人が大部分で、その価値を認める人も極少数。それを認めたのが白秋でした。詩を通してつながりのあった大手拓次から白秋へ作詞が依頼されましたが、白秋は困った顏をしてためらったといいます。その時のことを大手拓次は社内報「ライオンだより」(昭和7年発行)でこう振り返っています。

(二)「朝は子供に」楽譜(昭和7年)

「この歌は、單なる“一商店の宣傳歌”といふ意味でなく、多少公共的意味を含ませるために、特に學童齲歯防止會の爲にといふ一線をひくことによって、白秋氏が作って下すつたのです。若し、この一線をひいて、公共的雰囲氣をただよはすことがなかったら、私とのながい友情があつたとしても、この歌はうまれなかつたでせう」

(ホ)第6回学童歯磨教練体育大会に
参加した児童に配られたバッジ(昭和12年)

(二)のタイトルの横にある「學童齲齒防止會の爲に」という文字は、一企業の宣伝ではなく子どもの口腔衛生のためにという願いを伝えたかった白秋が、必ず明記するようにと指示したものです。クリエイターと企業とのコラボレーションは、時に食い違うお互いの思惑を上手に一致させながら行なわれてきました。そうしてうまれた数々の作品の魅力にも助けられ、歯磨大会は現在まで続くイベントへと成長したのです。

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