第4話 ライオンハミガキの絵本

大正2年、ライオンコドモハミガキ発売 こどもの歯の健康をリードし続け、1世紀

(イ)『ライオンコドモハミガキ』
(大正2年12月発売)

今でこそ当たり前になっているこども用製品ですが、明治時代はほとんど存在していませんでした。そんな時代に小林商店は、いち早く“こども”に目を向け、大正2年、全国向けとしては日本初のこども用の歯磨粉『ライオンコドモハミガキ』を発売しました。発売の背景には、大正元年に二代目小林富次郎が打ちだした歯磨専業化方針がありました。歯磨業界での競争力を強化するために、既存の歯磨製品の品質改良はもちろん、新製品の開発にも力を入れたのです。こども用製品の開発にも注力し、こどもが好む色や香味などの研究に加えて、絵本や教育カードなどの付録を用いて心理的にこどもに訴える手法も徹底的に研究しました。包装や付録の文章・絵については当時活躍している画家・作家を調べ、日本画の巨匠 鏑木清方(かぶらき きよかた)(イ)や、こども向け雑誌などで活躍した童画家 武井武雄(ロ)らに依頼しています。

(ロ)しおり

(ハ)ライオンハミガキの絵本

大正10年には、「児童の齲歯予防、口腔の清掃、其他之に関する調査宣伝研究を主とし、兼ねて一般保健の相談に応ずるもの也」(ライオン児童歯科院設立宣言より)として、ライオン児童歯科院が開設されました。とはいえ、もちろん日本には前例がないので、米国視察が行われ、ボストンのフォーサイスやニューヨークのロチェスター診療院を参考にしました。こどもの身体に合った治療椅子を輸入するなど、積極的に世界の先端技術も取り入れています。この児童歯科院は、本格的にこどもの歯の健康に取り組んでおり、他の研究所や専門機関の活動に協力しました。大正12年に『薬用ライオンコドモハミガキ』(罐入)(ハ)を発売し、大正14年には、幼児から小学生専用を含めた7つのサイズの歯ブラシを発売しました。これらの商品の販売戦略の一つとして、「寝る前の歯みがき」を定着させるために書道作品の懸賞募集が行われ、全国から50万通もの応募が殺到し、その対応に追われたというエピソードも残っています。

「整理の上にも相當組織立った方策を講ずるの必要に迫られ、先ず両國ビル三階の二室を借り受けて事務所となし、……」(社内報『ライオンだより』昭和7年10月号)

(二)ヘルスカー

対応に当たった人員は延べ約150名。思わぬところで社をあげてのキャンペーンとなったわけですが、「寝る前の歯みがき」の習慣づけの促進にもつながりました。

ライオン児童歯科院は、その後も、こども向け口腔衛生活動の中心的役割を担いました。戦時中・戦後の一時期、やむをえず活動を断念・縮小したこともありましたが、昭和25年以降、再び本格的な活動を展開し、「移動動物園」、日本初のスポンサー公園「グリーンハウス」、動く診療所の役割も担った宣伝カー「ライオン・ヘルスカー」(二)など、時代のニーズにマッチした新しい試みを次々と展開しました。

"こども"の歯の健康をリードし続け、はや1世紀。徹底したこれらの活動は現在の"学童歯みがき大会"などに引き継がれています。

一覧に戻る