第5話 ライポンF

寄生虫や農薬・・・見えない汚れを除去 昭和30年代の日本の衛生環境の改善に大きく貢献した台所用合成洗剤「ライポンF」

第二次世界大戦での敗戦後、日本は欧米文化の影響を強く受け、食生活の面でも大きな変化が見られるようになりました。キャベツ、キュウリ、トマト、白菜などの消費が昭和30年頃から次第に伸び始め、更に生野菜として食べるようになりました。また食用油脂の消費量も大きく伸び、昭和30年の一人当たりの消費量を昭和10年時点と比較するとバターで2.2倍、マーガリンで25倍となり、戦後に広まった欧米文化が、食卓の風景をも変えていきました。しかし、一方で洗浄方法は依然として変わらず、食器はクレンザー・石鹸で、野菜は水洗いのみで済まされていたため、野菜に付着した寄生虫の卵をそのまま口にしてしまうことも多く、当時は寄生虫保有率約30%、死亡者数年間6千人強という深刻な衛生状況にありました。また、人口増加に伴う農作物量産のための農薬も大量に使用され、その農薬が十分除去されていないことも多く、残留農薬も大きな問題となっていました。このような状況を救ったのが、『ライポンF』でした。

 

(イ)「ライポンF」(昭和31年発売) 

(イ)「ライポンF」(昭和31年発売) 

発売のきっかけは、昭和31年5月に、ある業界新聞で行われた「洗浄運動」をテーマとした座談会です。厚生省(現:厚生労働省)や全国紙の新聞記者、ライオン油脂などの洗剤メーカー、クリーニング業界らが出席していました。このとき「現在厚生省で頭を悩ませているのは回虫の問題である。」との発言があり、野菜に付着した虫卵を除去する話題になりました。その場において、合成洗剤で食器や野菜を洗えば寄生虫の卵がよく取れるといった研究をライオン油脂が行っているといった話があがりました。厚生省は、6月には国立衛生試験所で寄生虫卵除去試験・急性毒性試験を実施し、中性洗剤溶液の除去効果と安全性の確認を行いました。行政の素早い対応にライオン油脂も開発を急ぎ、座談会の席上での話題が、わずか3カ月で「ライポンF」の発売という形で現実になったのです。

(ロ)「ライポン」(昭和26年発売)のポスター

(ロ)「ライポン」(昭和26年発売)のポスター

そのあまりの早さに容器の生産が間に合わず、ビニール袋詰め(イ)となりました(当時のライポンFはフレーク状の洗剤)。このように異例の早さで開発できたのは、昭和26年にすでに合成洗剤『ソープレスソープライポン』(ロ)を発売していたからです。この製品の技術があったからこそすぐに台所用洗剤に応用できたのです。

発売に際しては、日本食品衛生協会の推奨第1号製品に指定されました。厚生省は、9月には各都道府県知事あてに「野菜類・食器等の合成洗剤による洗浄について」という通達を出し、11月には寄宿舎や集団給食の場においても食中毒及び消化器系伝染病予防対策の指導を呼びかけています。公共機関への行政の強力なバックアップに支えられたライオン油脂は、家庭や民間への普及にも力を入れ、サンプル配布や販促活動、時には法被や暖簾(ハ)を活用した店頭実演も行いました。

 

(ハ)販促用の暖簾

(ハ)販促用の暖簾

官民が協力して食品衛生の向上に取り組んだ結果、寄生虫保有率は大幅に減少しました。「ライポンF」の販売量も発売当初の昭和31年上期の258トンから5年後の昭和36年下期には6291トンと24倍にも伸長しました。

ちなみに「ライポン」という名前はライオンの「ライ」と、ドイツの化学品会社I.G.ファルベン社が開発した界面活性剤イゲポンの「ポン」を結びつけて名づけました。また「F」の意味は“Fresh”“Food”“Flake”それらが重なっての意味だという説があります。本来はさらさらとした粒状洗剤という“Flake”の意味だったようです。「ライポンF」以降、名前の後にアルファベットをつけることが流行しました。

これ以降「台所用洗剤」は家庭に欠かせない存在となりました。そして現在では、洗剤で野菜を洗うことは少なくなりましたが、洗剤の性能も向上し、「自動食器洗い機」なども誕生して、台所の衛生環境向上だけでなく、家事の負担の削減が図られるようになっています。

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