事業推進とその経緯

慈善券の引換と
引換残金の使用方法を
求めた新聞広告

さて、多くの人々に慈善の行為をよびかける大事業ですから、小林富次郎商店は事前の広告を十分に行いました。そして、明治34年(1901年)1月1日をもって換金を開始したのです。
ところが、当然といえば当然のことですが、発売した「ライオン歯磨」の慈善券付袋が全て換金されるわけではありません。換金されないで捨てられるものも多く発生します。単なる販売促進の目的であったら経費が安くついたとして処理できますが、社会貢献を目指した小林富次郎商店としては発売数に見合ったお金を用意していました。
従って、このお金の使用方法を、新聞広告で世に問いかけたのです。左の図版がそれですが、左側部分に「仰教示此期間に引換を求め来らず自然廃物に帰する分の金額は如何なる事業に投ずべきか是又八月末日迄に東京本舗宛続々御教示を寄せ給わ事を希ふ」
と記してあります。

さらに小林富次郎商店は内務省の調査その他の統計により、あるいは社員がじきじき現地におもむき慈善団体の活動実態を確かめて、寄付金の公平な分配を検討しています。こうして、分配が確定すると、翌年に決算報告をしたのです。 では実際にどのように分配されたかを検証してみましょう。事例は、明治38年(1905年)の新聞に掲載した「慈善券引換残金第4回分配報告」(下の図版)です。
当該期間の「ライオン歯磨慈善券付袋入」の売上は10,604,296袋でした。従って、慈善券による寄付金額は10,604円29銭6厘です。しかし、実際に空袋と交換された金額は、5,964円61銭8厘でした。換金率という言葉を使うならば63.2%です。そこで、差引残金4,191残金円96銭4 厘の分配が行われたのです。
分配先は北海道から九州まで全国にわたる77団体でした。その中には東京市養育院、救世軍慈善事業部、日本赤十字社、東京感化院、出獄人保護院、家庭学校、大阪慈恵院などの名前が見られます。1厘まで公明正大な分配が行われています。

慈善券引換残金第4回分配報告(明治38年)