学童歯みがき大会事はじめ

「歯磨体操!ヨーイ、はじめ!イチ、ニイ、サン、シー…」と歯みがき(ブラッシング)の手順を体操形式で教える方法があります。英語で Toothbrush Drill といい、欧米で開発されたものです。
日本には大正4年(1915年)頃に紹介されています。「歯磨教練」や「歯ブラシ教練」あるいは「歯磨体操」といわれ、歯科医の指導により全国に広がっていきました。

大正11年頃の学校歯磨教練

今日まで続いている「学童歯みがき大会」は、昭和7年(1932年)に「学童歯磨教練体育大会」という名称ではじまり、この歯磨教練を大集団で行ないました。
実は、ライオン((株)小林商店)は、早い時期から歯磨教練に取り組んでいました。大正11年(1922年)頃からすでに小学校に専門の講師を派遣して実施指導を始めています。
左の写真は、その当時の歯磨教練の様子です。
やがて、指導のための小冊子「学校に於ける歯磨教練の実際」を作成したり、歯磨、歯刷子の頒布活動を組み合わせたりして内容を充実させるとともに活動地域も拡大させていきました。

下は「歯磨教練」を伝える広告と小冊子です。

「歯界時報」(大正13年6月15日)
に掲載の広告

歯磨教練の指導小冊子
(昭和元年刊)

大正14年(1925年)になると、全国的に講師を派遣するまでになっており、この活動を「全国学校歯磨教練」運動と名づけています。下はこの「全国学校秋期歯磨教練」への参加を呼びかけた案内状です。
昭和3年(1928年)第5回のもので、この年から参加校が増加したために春期と夏期の2回に実施することになったことが書かれています。
この運動については、昭和10年(1935年)第15回までの記録がありますが、この間に参加した小学校は約2万校、児童数2,600万余に達したとあります。
いかに全国の多くの小学校が参加したかがわかりますね。
これが今日の「園・学校巡回指導活動」のルーツで、「学童歯みがき大会」誕生の基盤となった活動です。この活動実績があって初めて「学童歯磨教練体育大会」の開催が可能だったのです。

第5回「全国学校秋期歯磨教練」運動の案内状

さて、昭和3年(1928年)、日本歯科医師会は6月4日を「ムシ歯予防デー」と制定し、ムシ歯予防を訴える多くの活動を行なっています。
昭和6年(1931年)6月23日には「学校歯科医令」が公布されました。

第1回「ムシ歯予防デー」の日本歯科医師会ポスター

学校歯科医令公布3週年記念会プログラム(表紙)

第8回「ムシ歯予防デー」に使用されたチラシ

この法令は、第1条に「各学校ニ学校歯科医ヲ置クコトヲ得」とあるように、学校衛生の中に歯科医を正式に位置づけるものでした。
この法令により、日本の学校歯科行政が本格的にスタートすることになったのですから、関係者にはひときわ大きな喜びとなりました。日本歯科医師会は以前にもまして積極的な学校歯科保健活動を推進するようになります。
翌昭和7年(1932年)は「学校歯科医令」が制定されてはじめての年ですから、関係者は第5回「ムシ歯予防デー」をより盛り上げようと検討しました。当然、例年以上のビッグイベントが望まれたわけです。
これに協賛して行なわれたのが第1回の「学童歯磨教練体育大会」なのです。

第1回「学童歯磨教練体育大会」(東京大会)

「学童歯磨教練体育大会」はチェコ、スロヴァキヤの国民的体育大会「ソコール祭」のマスゲームと体育競技をヒントにして、「歯磨教練」の部と「競技」の部で構成されました。
第1回の大会は以下のように東京、大阪の2会場で行なわれています。

東京大会(6月4日予定が雨のため11日に開催)

主催:学童齲歯防止会(ライオン歯磨口腔衛生部内)
後援:東京市教育局
会場:日比谷公会堂前
参加児童:30校 約10,000人

大阪大会(6月4日開催)

会場:天王寺公園
参加児童:40校 約15,000人

翌年以降、同様の大会が全国各地で開かれるようになっています。

5月4日のムシ歯予防デー?

言うまでもないことですが、6月4日だからムシ歯予防デーなのですが、なんと5月4日となった時期がありました。
昭和14年(1939年)から昭和18年(1943年)までの期間です。
昭和14年、国は戦時体制の強化のために国民体位向上を意図して、厚生省主管のもとに「健康週間(5月2~8日)」を設けました。そのために、健康関連の行事はこの期間に集中して行なわれ、「学童歯磨教練体育大会」も例外ではなくなりました。
6月4日では「健康週間」外となるので、5月4日を「護歯」と読んでムシ歯予防デーとしたのです。しかし、「護歯」の日の「学童歯磨教練体育大会」は長く続きませんでした。翌昭和15年(1940年)の第9回大会をもって中断となります。
昭和16年(1941年)は太平洋戦争がはじまった年ですが、5月4日のムシ歯予防デーには、大日本健康報国実践会の主催により「健康増進運動強調の夕」(日比谷公会堂)が開催されています。
この大会の中で「歯磨教練」が実施されています。
昭和19年と20年には、日本の敗戦が色濃くなって催物自体が行なわれていません。

昭和14年5月4日の「ムシ歯予防デー」を告げるチラシ
「歯牙の受護に輝く体位」は同年「ムシ歯予防デー」の標語

時代とともに

戦後、ムシ歯予防デーは昭和23年(1948年)に復活しています。もちろん6月4日です。
「学童歯磨教練体育大会」は、少し遅れて昭和28年(1953年)に東京・大阪・名古屋で復活しています。
東京大会については、戦前からの通算で第10回大会としました。
この時、「教練」という字句が軍国調でよくないということで「訓練」と変更し、また、競技の部は吹奏楽演奏やダンス踊りなどのレクレーションやアトラクションの部として構成し、「学童歯磨訓練大会」と改称しました。
そして、平成6年の第51回大会からは「学童歯みがき大会」と改称しています。「訓練」という言葉が時代にそぐわなくなったからです。

近年の「歯みがき指導」風景

歯みがきの指導方法も「歯みがき体操」ではなくなりました。
「歯みがき体操」は歯みがきの基本を多くの人に効率よく指導するために優れた方法です。また、歯みがき習慣の動機づけにも貢献してきました。
しかし、歯をみがくのは当たり前の時代となり、より高度な歯みがき技法(テクニック)を指導することが望まれるようになりました。そのために「歯みがき体操」は平成2年(1990年)の第47回大会をもって終了しました。
近年の「学童歯みがき大会」では、写真のように手鏡を使って、生徒一人一人が自分自身の口腔内の状態を確かめながら歯みがきの指導を受けています。