閉じる

洗面所にこだわる

「歯みがき」のための環境づくり

都内幼稚園の洗面所の風景。1960(昭和35)年

当社の前身である株式会社小林商店は、「口腔衛生を徹底することは、国民の健康増進に極めて大切である」という考えのもと、「健康は歯から」を信念に、口腔衛生啓発活動を展開していました。
1913(大正2)年には、歯科医を中心とした講師団を組織し、「ライオン講演会」を開催。口腔衛生の大切さを広く伝えるとともに、全国の小中学校や工場など、ご要望を頂いた様々な場所へ講師を派遣しました。
こうした活動を通じて、小林商店は歯みがきの習慣を定着させるためには、いつでも安心して歯をみがける洗面所が身近に必要だと考えるようになりました。そこで、1919(大正8)年ごろから、全国各地の学校や公共施設への洗面所の寄贈を開始。この取り組みは昭和30年代まで、40年以上も続けられました。

「洗面所」の普及を目指して

一般家庭に紹介された「理想洗面所の設備」。1918(大正7)年発刊「ライオン・コスモス」より

1918(大正7)年から発刊されたライオン講演会の機関誌『ライオン・コスモス』では、一般家庭向けに「理想洗面所の設備」を紹介しました。
さらに1931(昭和6)年には、洗面所の普及を目指し、「洗面所の設計図」を懸賞募集しました。「1.相当の広さを持つこと」「2.採光の良きこと」など14の条件を考慮し、プロでもアマチュアでも応募ができるもので、設計・建築の専門家やアマチュアから多くの作品が寄せられました。
戦前の一般家庭には、現在のような独立した洗面所という空間は、ほとんどありませんでした。農村部では井戸端に洗面器を持ち出し、都市部では台所に洗面器を置いて、顔を洗ったり歯を磨いたりするのが一般的でした。当時、洗面所が設けられていた例としては、横浜のニューグランドホテルなどが挙げられます。しかし、そこでも独立した洗面所ではなく、バスルーム内に設置されたものでした。
このような時代背景を考えると、一般家庭への洗面所の普及を目指した「洗面所の設計図」の懸賞募集は、時代を大きく先取りした取り組みだったといえます。
1933(昭和8)年、株式会社小林商店は優秀作品300点の中から「国民生活の実際に合ったもの」を60点選び、「洗面所設計図集」(カラー10作品を含む)を編纂し発刊しました。
その中から、今の時代でも楽しく歯みがきが出来そうな、洗面所の設計図イラストをご覧ください。

洗面所設計図集第5図
洗面所設計図集第6図
洗面所設計図集第7図
洗面所設計図集第8図

公団住宅とDK文化

公団団地で歯科健康相談を行うライオン歯磨㈱の口腔衛生車。1974(昭和49)年

一般家庭に洗面所が現れるのは、戦後の昭和30年代後半ころ日本住宅公団(現・UR都市機構)によって「公団住宅」という集合住宅が大量に建設されるようになってからのことでした。日本住宅公団は「食寝分離」の考えからDK(ダイニングキッチン)スタイルの住宅を供給しました。それまでの木にトタンをはったものやコンクリートにタイルを貼ったものから、ステンレスの一体型に変わり、流し台とは別の場所へ設けられるようになりました。まだ窓際に取り付けられ「洗面コーナー」といったようなものではありましたが、独立した洗面所が生まれたことになります。また、トイレは水洗化され洋式便器へと変化しました。

口腔衛生車内での口腔観察の様子

オープンキッチンの前でテーブルと椅子で食事をするスタイルは、それまでのちゃぶ台で食事をとっていたころと比べると、とても文化的で生活革新のシンボルとして受け入れられました。こうしてDKスタイルの住宅は、あっという間に日本の住宅のスタンダードとなっていったのです。
1961(昭和36)年に新築された住宅の床面積は、一戸当たり平均56.0㎡でしたが、国民所得の増加と共に広くなっていき、1970(昭和45)年には68.1㎡と、洗面と化粧を一ヶ所で行うのに十分な空間を確保できる余裕が生まれました。
1964(昭和39)年には東洋陶器㈱(現・TOTO㈱)から「普及型洗面化粧台」が発売され、1966年には日本住宅公団の「住宅公団型洗面器ユニット」が、翌年には伊奈製陶㈱(現・㈱LIXIL)から洗面器と鏡を一体化した洗面化粧台が発売されています。

ここに至ってようやく、長年にわたり当社が洗面所の提案をしていた「歯みがきが心置きなくできる環境」が整ったということになります。