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関東大震災後の救援活動

関東大震災後の救援活動

1923(大正12)年9月1日に起きた関東大震災後のライオン児童歯科院の救援活動も確認しておきたいと思います。 この震災は、死者91,344人、全壊焼失家屋464,909棟という大災害をもたらしました。(株)小林商店も本社、外手町(現在の墨田区本所)の東京工場、下谷分工場、そして山城町のライオン児童歯科院を焼失しました。それでも、児童歯科院では治療椅子、電気エンジン、ユニット類などは運び出すことができました。 東京の各種医療機関は大きな被害をこうむり、その機能を果たせず、憂慮される状況になりました。そこでライオン児童歯科院は、市民の口腔衛生を守るために東京府市と協力して9月26日より約1ヵ月にわたって救療事業に従事しました(左上の写真)。3班のチームを編成し、第1班は九段坂上の靖国神社境内、第2班は東京市役所前、第3班は上野池之端に拠点をもうけ、各班医員2名助手2名で一般歯科の救護に当たりました。 その診療人員は3班の合計で7,240名でした。

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