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劇場映画との関わり

映画は大衆娯楽の王者として昭和30年代に全盛期を迎えます。ライオン歯磨(株)は積極的に劇場映画との関わりも強めています。

①映画ファンクラブの結成

1950(昭和25)年、ライオン歯磨(株)は顧客の方々が劇場映画をより楽しんでいただけるように、個々の映画館と交渉してライオン歯磨の空箱を持参すると無料で見られるような企画をスポット的に行っていました。これだけなら戦前の活動の復活ですが、会員制度にまで発展させたのです。
最初は阪神地区で試みたのですが、1951(昭和26)年になると全国的に展開しています。
名称は「ライオン・セントラル・ムーヴィ・クラブ」(L. C. Movie Club)。
規定の用紙に記入して、ライオン練ハミガキの空箱(大型1個または中型2個)と会報の送料(6円/月)を添えて申し込むと会員として登録されたのです。
会員は、会報「L. C. ニュース」と試写会などの招待を受ける特典がありました。
会規によれば、「本会々員はライオンハミガキ愛用者でアメリカ映画の文化的研究に熱情ある方を以て組織」とあります。

「L.C.Movie Club」会員カード 1951(昭和26)年
「L.C.News」1951(昭和26)年

②カラー映画を話題づくりに

劇場で上映される英米の映画はかなりの割合でカラーになっていましたが、日本の映画界ではようやくカラーを手掛けようという時代でした。
国産初の総天然色劇映画(カラー映画とは言わなかった)は、1951(昭和26)年3月21日に封切りされた松竹映画「カルメン故郷に帰る」(高峰秀子主演、木下恵介監督)でした。
当時は総天然色の邦画ということが大きな話題になりましたので、1953(昭和28)年9月、東宝初の総天然色劇映画「花の中の娘たち」(岡田茉莉子主演、山本嘉次郎監督)の完成披露記念試写会を、東京(9月15~22日)と大阪(9月13日)でライオン歯磨(株)が主催しました。

下のパンフレットをご覧ください。「大東宝第1回総天然色超大作」と書かれているのがわかりますね。

東宝第1回総天然色映画「花の中の娘たち」
試写会パンフレット1953(昭和28)年

裏面には、山本嘉次郎監督の「天然色映画を演出して」と完倉泰一カメラマンの「天然色撮影を担当して」という苦労話が掲載されています。
両氏ともにテクニカラーの鮮やかな発色とは異なった日本的な落ち着いた色彩を出せたと語っています。
この時期、日本で総天然色の映画を撮影することはそんなに大変なことだったのです。

③映画スターの相手役募集

中村賀津雄の相手役審査会
1955(昭和30)年

1955(昭和30)年の「松竹スター中村賀津雄の相手役募集」という企画は、ライオン歯磨(株)、松竹映画(株)、大日本雄弁会講談社、(株)光文社の主催で行われました。松竹映画のスター中村賀津雄が主演する「振袖剣法」の相手役を募集したものです。
この時期、日本で総天然色の映画を撮影することはそんなに大変なことだったのです。
いわゆる「スター誕生」の企画は、1970年代以降のテレビ時代には数多く行われていますが、この時代に映画スターの相手役を募集したのは珍しいことだったと思われます。
わずか1ヵ月の募集期間に、全国から自薦他薦の応募者は22,700名におよびこの種の募集の新記録を樹立したとあります。

やがて映画は、テレビの普及や娯楽の多様化によって大衆娯楽の主役の座を降りることになります。
今回取り上げた資料は映画が最も輝いている時代のものです。しかし、当社との関わりは間接的なものばかりです。
次は、戦後、当社が映画作りに直接的に、しかも本格的に関わった資料を紹介します。

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