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紙芝居

絵芝居の時代

「学校歯科衛生絵芝居」頒布の広告
1939(昭和14)年

戦前は紙芝居ではなく絵芝居という言葉が使われています。
1922(大正11)年以降、ライオン歯磨本舗(株)小林商店は小学校や幼稚園に歯磨体操の指導や講話のために講師を派遣し始めました。幼児を相手にした講話は、童話の中に歯科衛生の話を持ち込む形がとられ、こどもの興味を引くために絵を使って話をする絵話や絵芝居の形式が確立していったようです。

時代は少し下りますが、1939(昭和14)年、(株)小林商店は「ライオン歯科衛生院」を大阪高島屋に開設しました。この「ライオン歯科衛生院」は治療を行わずもっぱら児童の歯科保健相談、健康教育、ブラッシング指導などを行う相談所的性格を持つもので、無料で童話講師を派遣する「童話班」も編成されていました。
この童話班の出張サービスによる絵芝居はとても人気があり、あちこちの子供会や誕生会などに引っ張りだこでいつもスケジュールは一杯でした。
やがて、ライオン歯科衛生院は学校教材として「学校歯科衛生絵芝居」を製作して出版するようになります。写真はその広告です。
第1集は高学年向けで、タイトルは「つばさの勇士」。オフセット印刷数色刷りで新聞紙1ページ大の大判サイズ、10枚1組で定価3円(送料30銭)。第2集は幼稚園、低学年向け「お菓子の国」、第3集は高学年向け「青空部隊」です。
以下続刊となっていますが、発刊を伝える資料がないので、太平洋戦争に突入して中止になったものと思われます。

戦後、紙芝居となって・・・

1949(昭和24)年の「口腔衛生週間」には、ライオン歯磨(株)は大阪で歯についての「紙芝居シナリオ」を募集しています。6月3日に入賞作品授賞式が開催され、最優秀者1名、佳作入賞者5名が表彰されました。
昭和30年代の貸出資料の紙芝居には、以下のものがあります。
幼児向けの「子ぐまのエルちゃん」「健ちゃんと子リス」「正男君のおてがら」「狸に貰った金の箱」小学高学年中学生向けの「こうちゃんの冒険旅行」

紙芝居のタイトル絵 (昭和30年代)

昭和20年代から30年代にかけて、ライオン歯磨(株)は、ハミガキとハブラシを小学校と幼稚園に特別価格で提供する特価頒布活動に力を注いでいました。
そして、特価頒布に協力していただいた小学校幼稚園に、「歯科衛生教育資料」として掛け図やハミガキ指導用大型模型のハブラシ、そして幻灯フィルムなどを無料贈呈していました。
昭和30~33年の頒布活動では紙芝居も使用されています。

紙芝居「まちこちゃんのいちにち」

「まちこちゃんのいちにち」 1962(昭和37)年

ライオン歯磨(株)が教材として製作し頒布した最後の紙芝居は1962(昭和37)年の「まちこちゃんのいちにち」(幼児向け、11枚)です。1969(昭和44)年、ライオン歯磨(株)が「汎太平洋歯学研究会議」(主催:汎太平洋歯学研究会議組織委員会後援:当時の厚生省、文部省、日本歯科医師会、日本歯科医学会、(財)ライオン歯科衛生研究所)のために準備した英文パンフレットにも、歯科衛生教材のひとつPicture story for Kindergartenとして紹介されています。
ストーリーを簡単にご紹介しましょう。
「まちこちゃんは幼稚園ではとてもお利口さんでしたが、歯をみがくことや顔を洗うことが大嫌いでした。しかも、夜は寝床でお菓子を食べないとおねんねできないのです。ある日、お父さんがお菓子を買って帰ってきました。まちこちゃんはお菓子をいっぱい食べながら寝入ってしまいました。夢の中で、まちこちゃんはひろ一い野原を歩いていました。まちこちゃんはきれいな花たちと遊んで欲しかったのですが、皆んなはまちこちゃんの口が臭いといって、誰も相手にしてくれないのです。そして、蜂に口をチクリと刺されて目がさめました。まちこちゃんは目がさめても歯が痛いので、歯医者さんに行きました。
知らないうちにむし歯になっていたのです。歯医者さんはやさしくこれからは歯をよくみがこうねと頭をなでてくださいました。まちこちゃんは今日からは歯をきれいにみがこうと思いました。おわり」
めでたしめでたし。パチパチと小さな手の拍手が聞こえるようですね。

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