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戦後全盛期の口腔衛生映画

さて、再びライオン歯磨(株)が制作した口腔衛生に関する映画についてです。

映画がサイレントからトーキーに移る頃の歴史資料をご覧いただき、ライオン歯磨本舗(株)小林商店の社員たちが、「知恵と歯」「栄冠」や「歩哨」などストーリー性のある口腔衛生映画作りに注いだ情熱をお伝えしました。
このコーナーの展示資料は太平洋戦争後の口腔衛生映画についてです。

幻に終わった映画

ライオン歯磨(株)は、戦前にも増して口腔衛生映画の制作に積極的で、終戦後の混乱がおさまってきた1951(昭和26)年には早くも活動を開始しています。
最初の企画は、話題性のある映画作りをねらってシナリオを懸賞募集しました。
どのように実施したのか応募規定を見てみましょう。

映画シナリオの懸賞募集を告知するチラシ
1951(昭和26)年

「目的:口腔衛生の普及と健康教育を目的とする科学映画(当社の宣伝を目的とせず)
形式:映画シナリオ(シナリオ形式をとらざるも可)。枚数に制限無し。但し、原稿には必ず1200字迄の梗概こうがいを附すること。線画、レントゲン、顕微鏡写真等を利用せらるることは可。
対象:一般大衆(こどもに向く物、大人に向くもの、又はこどもにも大人にも向くもの、何れでも可)
映画の長さ:二千尺(二巻~三巻)
賞金:当選1名50,000円、佳作2名10,000円」

選者は日本監督家協会山本嘉次郎会長、北海道大学理学部理学博士中村宇吉郎教授と当社の委員。審査の厳正を期するために、以下のようなことも記されています。
「応募原稿には必ずペンネームのみを記入し、別紙に住所、本名、題名を記入したものを厳封添付の事。」

当時の東京新聞、大阪新聞紙上をはじめとして、大々的に告知活動を行いました。そして、50数編の応募がありました。
人々の関心を集めようという企画のねらいは、一応達成できたといってよいでしょう。
さて、審査結果です。
「審査員一同にて慎重に審査いたしましたが、遺憾乍ら直ちに映画化し得るような当選作品を見出し得ませんでした」と残念な結果になりました。
懸賞金は、当選者がないために佳作入選者を6名とし、それぞれに12,000円が支払われています。

こうして、ライオン歯磨(株)の戦後初めての口腔衛生映画は幻に終わりました。映画のシナリオを一般公募するというのは難しすぎたようです。

ところで、どの様なシナリオが寄せられていたか佳作の題名を見ておきたいと思います。
・きれいな歯のお話・歯は清く・白い宝石
・歯の衛生文化・歯の科学
・私達の為にも、貴方達のためにも
です。きわめて真面目な内容のようですが、少しお説教臭かつたような気もしないではありません。

天然色科学映画「文化と歯」

「文化と歯」パンフレット表紙
1952(昭和27)年

シナリオ募集による映画作りは実現しませんでした。翌1952(昭和27)年、ライオン歯磨(株)は自らシナリオを考え映画作りに乗りだしました。この時、2つの新しい技術にチャレンジしています。
ひとつは、カラー映画とすること。(当時、国産の天然色映画はそれだけで稀少価値があったことは前述した通りです。)
もうひとつは、位相差顕微鏡を使用し、しかも微速度撮影を行うということでした。

5Wの手法で説明した「文化と歯」
パンフレット 1952(昭和27)年

映画のタイトルは「文化と歯」。
(英文標記は"TEETH AND CIVILIZATION")
内容は次のように説明されています。
「むし歯は文化病(㊟今日では文明病という言葉の方が一般的です)といわれるくらい文化が高まるにつれて増加することをなげき、どう対応すればよいかを5W(Who, What, When, Where, Why)の手法で表現したものです。」
どうしてむし歯になるのか、むし歯になるとどうなるのか、どうしたら防ぐことができるのか・・・、
きわめてオーソドックスに解説したものです。
この映画のパンフレットには、「5W」についての説明書きもあり、「アメリカの古則として教育や広報活動に今日も愛用されている」と紹介されています。今日では、5W+1Hを用いるプレゼンテーション方法は一般的ですが、この時代としては新規性を感じさせる手法だったのではないでしょうか。

こうして、この映画は「我国最初の天然色科学映画」(カラー、16 mm)として完成したのです。ライオン歯磨(株)は発表会を大々的に開催しています。
1952(昭和27)年8月16日、有楽町の日本劇場で開催した発表会は、東宝映画「上海の女」(主演:山口淑子、三国連太郎、二本柳寛監督:稲垣浩)の封切りと日劇ダンシングチームによるステージショーと一体になった豪華なものでした。
その後、全国各地で同じように劇場映画と組み合わせた発表会を次々と行っています。

ところで、「文化と歯」は本格的な科学映画ですから、教育委員会、学校保健会、学校歯科医会等の主催で行われた「立体講演会」(10月9日大阪、11月11日東京)でも上映されました。
ええっ?「立体講演会」って?何のことかおわかりにならないでしょうね。
当時の案内状によると「映写機、幻灯機、サインボード、録音機等を有機的に駆使して行う」「視聴覚立体講演会」と説明されています。
今日では、ビデオやスライドや音響装置を使用した講演は当たり前ですが、当時としては「立体講演会」と名付けるほど大変なことだったのです。そう言えば、学校教育の現場では視聴覚教育という言葉がよく使われた時期がありましたね。

児童向けの口腔衛生映画「?」

日比谷公会堂における映画発表会
1954(昭和29)年

1954(昭和29)年には、児童向けにフッ素のむし歯予防効果をやさしく解説した映画(カラー、16mm)を制作しました。
この映画の発表会は、6月4~10日の「口腔衛生強調運動」週間(現在は「歯と口の健康週間」と名称が変わっています)に先立って6月2日、日比谷公会堂で開催しました。

題名決定の新聞広告
1954(昭和29)年6月25日、朝日新聞夕刊

以前(1934(昭和9)年)行った時と同じように、映画の題名を付けないまま「?」として上映し、題名を懸賞募集しました。
題名は「星は見ている」と決定しました。

この他に児童向けの映画は1959(昭和34)年「歯をみがきましょう」1974(昭和49)年「さようならむし歯」(当時の文部省選定、日本歯科医師会推奨映画)1977(昭和52)年「むし歯をふせぐ5つのステップ」1979(昭和54)年「たいせつな歯」などを制作しました。いずれもカラー、16mmです。

本格的な科学映画づくり

「明日をめざして」パンフレット表紙
1966(昭和41)年

1966(昭和41)年には本格的な口腔衛生の科学映画(カラー、16mm)を制作しています。
題名は「明日をめざして《フッ素と歯の健康》」といい、社会教育科学映画として当時の厚生省の推薦映画にもなりました。
この映画は、実例と統計により、乳歯が生えそろう年令にはもうむし歯があり、年令と共にその数が増えていることを説明し、むし歯の恐ろしさを実験で示したものでした。
この映画から3年後の1969(昭和44)年、WHO(世界保健機構)は加盟各国に対し、むし歯予防に有効な方法として水道水へのフッ化物添加をはじめとするフッ化物応用を推進するように勧告していますから、とても時宜を得たよい企画だったのではないでしょうか。WHOは1975(昭和50)年と1978(昭和53)年にも同様の勧告を行っています。

学術映画に挑む

1976(昭和51)年、ライオン歯磨(株)は創業85周年を迎え、記念に学術映画「歯―ムシ歯の原因をさぐる」(カラー、16mm)を制作することになりました。
この映画の制作意図については、あえてパンフレットそのままを引用します。専門用語がいっぱい出てきますので、一般の方々にはわかりにくいかもしれませんが、学術的な映画ですので、その感じを味わってください。
「(この映画は) ミラーの細菌説に依りながら、口腔内細菌叢を紹介し、そこで糖培地におけるコロニーの特異な様態を、顕微鏡微速度撮影によって明らかにしています。中でもストレプトコッカス・ミュータンスのデキストラン及び酸の産生を証明し、次いで酸によるほうろう質(㊟エナメル質)の脱灰を偏光顕微鏡によって確かめていきます。特に新しく開発した方法によって、ストレプトコッカス・ミュータンスを直接ほうろう質に作用させ、12日間連続観察することにより、脱灰の進行や石灰の再沈着(㊟今日では再石灰化という言葉が一般的です)を精密に記録することができました。さらにう蝕原因菌、歯垢などを各種の方法によって検討し、そこからむし歯予防について必要な提言を行って、この映画の結論としています」

「歯-ムシ歯の原因をさぐる」パンフレット 1976(昭和51)年

この映画は、全国の歯科団体、学校等で大きな反響を呼び、当時の文部省および優秀映画鑑賞会からも推薦を受けました。また、11月3日文化の日には昭和天皇の天覧に供しました。
そして、翌年の第15回「日本産業映画コンクール」では、最高の名誉である文部大臣賞を受賞しました。1977(昭和52)年、アメリカ小児歯科学会の創立50周年記念学会でもその英語版が上映されています。そしてこの映画は、以後、下記のような学術映画シリーズを生み出す原点になりました。

  • 1978(昭和53)年「歯-その“よごれ”をさぐる」
  • 1978(昭和53)年「歯-その“よごれ”をさぐる」
  • 1979(昭和54)年「歯周疾患-そのミクロ像」
  • 1983(昭和58)年「歯-ブラッシングを科学する」(科学技術庁長官賞受賞)

ライオン歯磨本舗(株)小林商店が1922(大正11)年にはじめて制作した口腔衛生映画「知恵と歯は」はサイレントでした。その後、トーキーになり、カラーになり、そして、1988(昭和63)年の「なぜ歯みがきをするの」以降はビデオ(VTR)になっています。
映画作りの手法も、物語の中で歯みがきの必要性を啓発するスタイルから、科学的な実験や統計を使って解説するスタイルに変化してきました。現在は、YouTubeの公式チャンネルで動画配信をしています(https://www.youtube.com/@LionOfficialMovie)。
今後はどのように変わって行くのでしょうか?

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