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設立宣言

ライオン歯磨本舗小林商店は、1900(明治33)年~1920(大正9)年まで「慈善券」による社会貢献活動を続けましたが、所期の目的を達成したことにより、新しい方式の活動を始めることになりました。

ライオン歯磨本舗小林商店は歯磨事業に参入して以来、ずっと児童の歯を守るという理念をもっていましたから、歯科診療の分野にも関心を寄せていました。つまり、児童専門の歯科診療所の実現ということです。
1918(大正7)年、会社幹部が当時世界の二大児童歯科診療所であった「フォーサイス児童歯科診療所」(米国マサチューセッツ州ボストン市、1914年設立)と「イーストマン児童歯科診療所」(ニューヨーク州ロチェスター市、1917年設立)を視察してきました。
そして、両診療所が児童の歯を守る上で非常に良い成果をあげていることを実感しました。これに力を得てライオン歯磨本舗小林商店は、「慈善券事業」に代わるものとして、「ライオン児童歯科院」の設立を決断したのです。もちろん、日本で最初の児童歯科を専門とする診療所でした。

まず、(株)小林商店が東京日日新聞に掲載したライオン児童歯科院の設立宣言をお読みください。

1921(大正10)年6月26日付
「東京日々新聞」

今日とは言葉使いや時代背景が違いますが、何とも格調の高い文章です。
また、活動内容については「事業の大要」として、次のように説明しています。

  1. 新生児から小学卒業期までの児童を対象に、口腔の検査、口腔の清掃、ムシ歯の手当などの予防的診療
  2. 口腔衛生手の養成
  3. 歯科講演、談話、実習
  4. 口腔衛生の知識普及
  5. 児童父兄との懇談会
  6. 歯科調査、研究

です。そして、この他に院外活動としての巡回歯科活動を行うとしています。

さて、ライオン児童歯科院は1921(大正10)年6月、東京市京橋区山城町6番地(現中央区銀座)に開院しましたが、この時の職員は岡本清纓院長以下5名の医員と他に学校巡回診療班6名でした。
開院当初は巡回口腔検査のみを行い、診療は9月10日から始めています。
診療代は「一回金拾銭(但し学校其他の紹介により無料とする事を得)」でした。実は歯科診療について、最初は無料診療とする方針だったのですが、無料では子供の自尊心を傷つけるのでよくないという教育家の意見によって、診療の内容を問わず1回10銭と決まったのです。学校巡回診療については、もちろん無料でした。
昭和4年頃までこの料金規定が継続しています。

山城町「ライオン児童歯科院」(1921(大正10)年)

この山城町のライオン児童歯科院は関東大震災で焼失しました。開院から関東大震災までの間の診療日数は576日で、1日当たりの患者数は平均73人という記録があります。

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